- 【FGO】ツタンカーメンの再臨と性能 スキル倍率と宝具判明、自爆の高級ステラだ!味方全体にNP20自身に30+30付与!
- 【FGO】ヴァン・ゴッホ〔マイナー〕の再臨と性能 スキル効果と倍率判明
- 【FGO】北斎ちゃんとゴッホちゃん礼装が尊い!イベント礼装「星月巡り」がゴッホちゃん礼装「富嶽巡り」と対に?
- 【FGO】配布はヴァン・ゴッホ〔マイナー〕新規星5はツタンカーメン!ぶち壊せ! ミステリーハウス・クラフターズ
- 【FGO】ツタンカーメンの3臨、最終再臨と宝具が解放!幕間の物語に解放クエストが追加 過去最大級の露出じゃ…
- 【FGO】2−3−1でHP100万アルテラ Lv.90++【ゴーストルーム】危険な発明品3ターン周回できてる?シエルで楽々周回!
- 【FGO】CMの機械の腕の正体判明!超絶名工ダイダロスと侍従人形ナウクラテー ぶち壊せ! ミステリーハウス・クラフターズ
- 【FGO】本当に人力?ロボじゃない?CMのブリトマートの鎧がでかい
- 【FGO】ツタンカーメンの3臨?!生前倒れなかった健全な肉体、神の似姿としてのカタチ
- 【FGO】特攻サーヴァント情報もきた!「ぶち壊せ! ミステリーハウス・クラフターズ ~星の鉱員と日の出の翼~」開幕直前キャンペーン
[FGO]ゼノビアって聞いたことないがどんな逸話があるの?ローマに喧嘩売って市中引き回し後に…
まあ逸話から自称セミらミスの人だから
調べてみるとローマに土下座して部下を売って生き延びた挙句
結局最後はローマに捕まって市中引きずり回されて死ぬの何というかパッとしない人だな…
なんかオペラとかで聞く人ってイメージだな
サロメとかと被る
本当にこの人物をサーヴァント化させた理由とかあるんだろうな
もっと需要ありそうな有名どころ使えばいいのに
オペラとかにもなってるし格はあるだろ
敗北する前の女王時代ではなく恥辱に塗れた姿から克己して成り上がった時が全盛期というのは中々良い設定だと思う
俺の心は汚れているので結局勝てなかったよ…という展開しか思いつかないが
来年のコラボイベントまでガチャ禁したいから回す気はないが、現状設定だけでも面白いキャラだと思う
弓使ってないからアーチャー
ローマ市中引き回し姿ってことなのか
まあ恒常星4だからそのうちすり抜けて来るだろ…
当時のローマ人、あんなエロい格好させてニチャァみたいな顔してたんかな
当時の記録で「女1人と戦ってるのかよwww」「お前らはゼノビアの事わかっとらん」みたいな記録があるとかないとか
克己宝具とかまた新しい分類が増えたな
効果読んだら過去の命乞いした自分を乗り越えて生前至れなかったイフの全盛期になるって宝具だから克己宝具としか言えないからなあ
それで何故相手にダメージ与えられるのかは知らん
なぎこさんも攻撃宝具だし深く考えたら負けよ
余生は好待遇セレ ブとして人生謳歌してたって強過ぎて草なんじゃがゼノビアさん
古代の話の割りに、悲劇や伝説として綺麗に加工されてないよなと
清廉潔白な女王でもなければ、極悪非道なド悪女って程でも無くて
無茶苦茶なのに世渡り上手な人って実際居るから、凄く生々しいなと
ないらしい
はっきりとマテリアルにも書かれてる
ゼノビア(ラテン語: Zenobia)は、3世紀に存在したパルミラ帝国の「女王」と呼ばれた人物である。
ゼノビアはローマの迷走に乗じる格好で「サーサーン朝の侵略からローマ東部属州を護る」という名目で皇帝直轄領アエギュプトゥス(エジプト)及びカッパドキアやパレスティナ、カルケドン等のローマ東部属州・都市に軍を派遣して次々と「領土」を拡大していった。ゼノビアは自らを「エジプトの女王」と称し、またこれらの事件から「戦士女王(Warrior Queen)」とも呼ばれた。実際にゼノビアは騎馬術にも優れた才能を示したという。ゼノビアはカルタゴの女王ディードーやアッシリアの女王セミラミス、プトレマイオス朝のクレオパトラ7世の後継者を自称したとされる[1]。
ゼノビアはパルミラへと逃れて、籠城準備を整えた。ローマ軍はパルミラを包囲したが、兵站線が延びきっていたことに加えて、現住のアラブ人による攻撃が包囲を困難とした。当初、ゼノビアはサーサーン朝からの支援も期待していた。しかしエジプトを攻略したプロブスが軍を率いてパルミラへ到着したため、ローマ軍の兵站線が確保され、軍勢は飛躍的に増加した。敗戦を悟ったゼノビアはペルシアへ逃亡を図ったものの、ユーフラテス川を越える前にローマ軍に捕縛された。弁明の場においてはローマに対する反乱の責任を臣下達に押し付け、自らは命乞いに徹したという。 結局、ゼノビアは助命されたが、引き換えに配下の将兵達は処刑された。 この後パルミラ市はローマに降伏。273年に王国は瓦解した。
ゼノビアはローマへと連行され、274年にガリア帝国もローマへ統合したアウレリアヌスの凱旋式(274年)でローマ市内を引き回された。ゼノビアの身体は黄金の鎖で縛られ、ローマ市民への見せ物にされたという。なお、ゾシモスはローマへの連行中にゼノビアが死亡したと伝えている。
凱旋式の後はローマ国内のティブル(現:ティヴォリ)のウィッラ・ハドリアナの近郊に高級な別荘(ヴィラ)を与えられ、社交界でも活躍する等、贅沢に暮らした[2]。また、ゼノビアはローマの元老院議員(名前は伝わっていない)と再婚し、数人の娘(やはり名前は不詳)にも恵まれ、その娘もローマの高貴な身分の人間と結婚したと伝えられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%8E%E3%83%93%E3%82%A2